AV女優・早見瞳と聞いて、ご自分の若かりし頃を懐かしむ諸兄も多いのではないでしょうか。
もちろん小生も同世代ですので、早見瞳時代の作品は当時いくつかお世話になりましたよ。
そう、早見瞳以前にも作品は存在し、出世魚のごとく「吉沢有希子」「いずみ由香」「会沢由香」名前がコロコロ変わっていくんですね~。
ただ、出世魚と異なるところは、まだ名前が世間に定着する前であったということ。なので、さして問題はなかったのだろうと思います。
1985年から早見瞳名義で活動するわけですが、時はまさにバブル景気が始まろうとする矢先。
時代を肌で感じていると、当時の世相がなんとなく思い出されませんか?
電電公社が民営化しNTTになり、ショルダーフォンが発売されたのも1985年になります。
あの平野ノアがボディコン姿で、「しもしも~」とコントで使ってますよね。
「キャバクラ」という言葉も、この年の新語・流行語大賞の表現賞に選ばれてます。
早見瞳の活躍を振り返ると同時に、そんな時代の息吹を思い出してみてはいかがでしょうか。
【プロフィール】
早見 瞳:はやみ ひとみ
別名:吉沢有希子、いずみ由香、会沢由香
生年月日:1964年4月2日
出身地:東京都
血液型:B
身長 / 体重:158 cm / ― kg
スリーサイズ:86 – 56 – 88 cm
ブラのサイズ:D
早見瞳のデビューから引退・現在まで
そんな幾度となく名義変更してきた早見瞳ですが、変更するにあたっては当然そこには何かしらの思い入れがあると思います。
そこで早見瞳と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、かつてのアイドル早見優ではないでしょうか。
デビューは早見優の方が数年早く、1983年の彼女最大のヒット曲「夏色のナンシー」は、今なお口ずさめる諸兄も多いに違いありません。
当時の人気ぶりと「早見」という涼やかな苗字に、何かしら影響されたのかなぁ~なんて…考え過ぎですかね。
そして、バブルの追い風に乗るかごとく、早見瞳の人気もグングン飛翔していくことになります。
次の章では、そんな早見瞳のデビューから引退までを詳しくみてまいりましょう。
早見瞳が吉沢有希子名義でデビュー
前出のように早見瞳は、1984年リリースの作品『ミス本番 有希子20歳 ・・・めぐり逢い』にて、「吉沢有希子」名義でデビューしています。
デビューのきっかけは、当時喫茶店でアルバイトをしていたそうで、そこに出入りをしていたビデオ会社の人に勧められたのが発端なんだとか。
一度会社に来てみないか?と誘われて、自ら出向いてますからね~意外と行動力のある方のようです。
早見瞳は当時20歳ですから、きっと若さも手伝ったのかもしれませんね。
翌1985年には、2nd作品『ミス本番 有希子・・ふたたび』をリリースし、なぜか次作では「いずみ由香」と改名。
そして改名第1弾として、『美少女本番シリーズ 吉沢有希子改めいづみ由香のボディー・トーク』をリリースし、なんと本作1作のみでまたもや改名。
その3度目にしてやっと、「早見瞳」の名が定着するんですね~まさに3度目の正直。
しかし、その解明が功を奏したのは、その後の人気ぶりを鑑みれば一目瞭然なのではないでしょうか。
ちなみに同年に発売された写真集『誘惑トロピカル』では、「会沢由香」名義を使用しています。
早見瞳としてアイドルAV女優へ転身
1985年リリースの『JUST ONLY YOU』にて、「早見瞳」名義で再スタートを切った早見瞳。
なんと同タイトルで歌手としてもデビューしていますので、本格的な始動といったところでしょうか。
作詞を早見瞳自ら行っていて、その才能ぶりには驚かされますね。
ただ後述しますが、ブログを拝見するとかなり文才があることが推察されますよ。
そのため作詞を任されるだけの能力が既に備わっていたことが伺い知れるかと思います。
そのデビュー作を皮切りに、3か月に1本ペースで作品をリリース。
そして3年後の1988年に約40本ほどの作品を世に残し、スパッと引退されています。
それはデビュー当初から女優業を3年と決めていた、いわば時限付きの活動だったようです。
写真集も早見瞳時代に4冊ほど発売し、当時はアイドル並みの人気を誇っていた早見瞳。
芝居が好きで、そのワンステップの位置づけで女優業を始められたようで、現役時にはドラマデビューもしています。
ならば引退後は本格的に役者へと転向か…と思いきや、特別目立った活動はしていなかった模様。
その代わり、早見瞳はストリッパーとして華々しくデビューするんですね~。
芸術性や表現力が必要とされる点では、役者と相通じるものがあるのかもしれませんね。
早見瞳がAV女優引退からストリップデビュー
引退後の1989年には大阪にある九条OS劇場にてストリップデビューすると、女優の知名度もあり人気を博したようです。
ちなみにこの劇場は惜しまれつつも、2012年に閉館。
東京出身の早見瞳が、なぜ東京のストリップ劇場ではなく関西を選んだんですかね~気になるところです。
ところで、当時の早見瞳の年齢が25歳。一番踊り子としては活躍できる時期なのかもしれません。
ただ1987年放送の某お色気テレビ番組で、将来の夢を女優と語っていた割には、ピンク映画にもあまり出演歴がないのはなぜなんですかね。
【FANZA】
調べたところによると、唯一1985年のにっかつ映画『普通の女の子/性愛日記』で、渡瀬ミクとW主演をしているようです。
もしかしたら気が付かないだけで、もっと他にも活躍していたのかも。しかし、既に30年以上前の話ですから、今となっては知る由もありませんが…。
そしてストリップデビューから1年後の1990年に、なんと早見瞳は再びAV女優に復帰してますよ。
かなり短いスパンで、ファンの前を行ったり来たり。
しかし、水は流れてないと淀みますからね~それだけ常にフレッシュであり続けたいという表れなのかもしれませんね。
早見瞳が復帰・再復帰から完全引退
前出のように早見瞳は、1990年リリースの作品『今度は本番』にて再デビューしています。
タイトルに「本番」とあるように、早見瞳の本番解禁作品でしたよ。
おそらく再デビューするには、このくらいのインパクトが欲しかったところなのでしょう。
しかし本番行為が一つの売りになるのですから、これも時代なのでしょうね。
1984年に宇宙企画からリリースの『ミス本番 裕美子19歳』が、少女の本番を手掛けた最初の作品のようです。
裏を返せば、今までの早見瞳の作品が、全て疑似SEXだと明かしたことになりますからね~。
これはこれで、ファンとしては複雑な心境なのかも。
ただ、早見瞳が1984年にデビューした頃には、まだ本番行為自体が一般的ではなかったのも確か。
少なくとも、これからは本番行為を表明してくれただけ良心的なのではないでしょうか。
かなりハードな内容の作品にも出演されていますので、再復帰には並々ならぬ決意が込められているのでしょう。
しかし、思い虚しく数本でピタリとリリースは途絶え、数ヶ月でフェードアウト。
ただこれで終わりではなく、1995年にまたもや不死鳥のように舞い戻ってくるんですね~。
バブルもとうに弾けて、世は既に平成へと移り変わってますよ。
永遠の美女 恋文 早見瞳
>FANZAでサンプルを観る
今度は本腰入れての復帰かと思いきや、数本リリースの後、1996年の『永遠の美女 恋文』を最後に完全引退。
デビューから足掛け12年余り。早見瞳も齢32。
出入りはあったものの、ある面、一貫して女優業に身を投じた姿勢は、アッパレなのではないでしょうか。
早見瞳が風俗嬢に?
1996年に完全引退した早見瞳ですが、その後はパッタリと音信が途絶えてしまいます。
そして10年後の2005年に「逢沢ひとみのチョッときいてよぉ~」というブログが開始されてますよ。
The Wayback Machineより→逢沢ひとみのチョッときいてよぉ~
逢沢ひとみのチョッときいてよぉ~
その「逢沢ひとみ」というお名前が、どうやら早見瞳その人のようです。
特別この名義で活動しているわけではなく、既に一般人となってからのブログになります。
ならば、なぜそこで早見瞳とリンクするのか…それは言葉の端々に当時の思い出が語られているからなんですよね。
そんな思い出と共に多く語られているのが、家族の話になります。
そう早見瞳は既に伴侶を得て、幸せな家庭を築いている様子が伝わってきますよ。
子供も娘さんでしょうか、我が子を思う親の気持ちが真摯につづれれていました。
なんだか文章を読んでいると、誠実な人柄なのが感じられて、落ち着くべきところに落ち着いた感がありましたね。
その様子が引退して10年後の姿になります。ならば空白の10年間が気になりますよね。
時期は定かではありませんが、確かに風俗店情報はないことはなかったです。
泡姫として彼女に相手をしてもらったという書き込みが複数ありましたよ。
ただ、引退後となると早見瞳も三十路ですからね~。
源氏名と女優名をリンクさせない限り、気が付く人はまずいないのではないでしょうか。
結局のところ、今となっては確かめる術もありませんので、噂の範疇ということにしておきたいと思います。
早見瞳の無修正情報
前述したブログに続き、2010年には「早見瞳コネクション」というブログも行っていて、まるでポエムを感じるような文章でしたよ。
The Wayback Machineより→早見瞳コネクション
改名後の歌手デビューにおいて、自ら作詞をしたのも頷けるところかもしれません。
ツイッターもありましたが、アカウントから推測するにどうやら逢沢ひとみのようですが、今では第三者に乗っ取られている可能性が高いと思われます。(怪しいのでリンクしていません。)
かつてはアメリカからの更新で本人かなぁ~と思われるツイートも…。
ちなみにブログ内では「東京に住んでいた時…」という記述もありましたので、少なくとも東京住みではないことは確かなようです。
ただ海外暮らしなら、「日本に住んでいた時…」と書くような…。
実際のところは既に両ブログとも閉鎖されていますので、真偽のほどを確かめようがありません。
そして肝心の早見瞳の無修正情報ですが、これに関しては全く見つけることができませんでした。
おそらく最初から無修正デビューしていないか、もしくは表立っては公開されていないかのどちらかなのでしょう。
先の風俗店情報で、複数の証言の中に「パイパンで濡れにくかった」というのがありました。
三十路のパイパンマンコ…中々夢のあるお話ではないですかね~皆さん。
早見瞳のおすすめ動画作品
早見瞳の作品は40本以上あるはずですが、現在閲覧可能な作品はごくわずかなようです。
30年以上も前の作品ですから、それもやむを得ないのかもしれませんね。
もっと観てみたくなりますが、早見瞳自ら所有してないのかしら?
ダイジェストでもいいので、ちょこっと観てみたくなる小生でした。
そのため現在でも閲覧可能な作品で、おススメの作品を少しばかりご紹介したいと思います。
新・人間発電所 早見瞳
本作は1990年のh.m.pからの作品になります。
パッケージには「早見瞳は平成の豊丸だ!!」とあり、あの過激な作品で名高い豊丸を引き合いに出されてましたよ。
本番解禁後の作品ですので、どこか吹っ切れたところがあるのかもしれません。
パンツ越しにレロレロ舐めていると、陰毛がスケスケに。
おマンコに玩具を突っ込み合ってのレズシーンも見どころの一つです。
日比野氏とのカラミは濃厚で、対面座位ではのけぞりながら喘いでいる早見瞳。
演技では限界があるからと本番をやるようになったんですからね~本気で感じているのかもしれません。
新・人間発電所 早見瞳
>ソクミルでサンプルを観る
>FANZAでサンプルを観る
That’s エロ!! 早見瞳
本作は1991年のロイヤルアートからの作品になります。
マングリ返されてのおマンコいじりでは苦悶の表情を浮かべてましたよ。
ふと見ると乳首はピンコ立ちしていますので、どうやら感じているようです。
3Pのカラミでは、まるで輪姦されているみたいでしたもの。
チンポをしゃぶりながらバックからガンガン突かれる早見瞳。
男の喜ぶことなら何でもしてあげたいという気持ちが伝わってくるんですよね~。
かつて「男性を癒すための最大の武器は?」と聞かれ、冗談交じりに「シマリがいい」と答えていた姿を思い出しましたよ。
メス犬のごとく首輪を付けられてのオモチャ責めも見どころの一つです。
That’s エロ!! 早見瞳
>FANZAでサンプルを観る
永遠の美女 恋文 早見瞳
本作は1996年のコロナ社からの作品になります。
生涯最後の作品かと思うと、なんだか襟を正してしっかりと見たくなりますね。
最後にして初めて潮吹き宣言ですからね~早見瞳の中ではかなり思い切った決断だったのではないでしょうか。
ただあまりガッツリやるのはNGだったのか、イマイチ期待したような噴射ではありませんでしたね。
しかし、手マン同様、SEXはナマ本番でしょうから、早見瞳の本気のお顔が楽しめますよ。
早見瞳のフェラも気持ち良さそうでしたね~。
熱い吐息をかけられただけでピンコ立ちしそう…三十路となった熟女のサービスに酔いしれてみてはいかがでしょうか。
永遠の美女 恋文 早見瞳
>FANZAでサンプルを観る