星野ひかるがAV業界を駆け抜けた1990年から1991年

【星野ひかるプロフィール】
- ほしの ひかる
- 生年月日 1970年12月14日
- 出身地 東京都
- 血液型 B型
- 身長 / 体重 152 cm / ― kg
- スリーサイズ 82 – 54 – 82 cm
星野ひかるのデビューした時代とは

往年の女優を鑑賞するにあたり、当時の時代を踏まえるとより懐かしく思い出されるのではないでしょうか。
1989年といえば、昭和の一時代が幕を下ろし平成の世となった年でもありますよね。
世相を反映する事件としては、女子高生コンクリート詰め殺人事件の発覚や宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件などの凶悪犯罪もこの年の出来事です。
そんな時代の1990年にAV界に突如キラ星のごとく現れた少女が、清純派として名高い星野ひかるその人です。
デビュー作の自己紹介でもある通り、彼女は1971年12月17日生まれの18歳とのこと。
デビュー作が6月リリースですので、高校卒業して間もないころだったのかもしれません。
しかし不思議なことに、全く同日の1971年12月17日生まれの少女が、同年にスクリーンデビューしていましたよ。
『東京上空いらっしゃいませ』といえばこの方、牧瀬里穂を思い出す方も多いことでしょう。
しかも映画の公開が星野ひかるのデビューと同じ6月ですので、ここまで偶然が重なるのもちょっと不自然な気がしないでもありません。
もしかしたら、前年のJR東海・クリスマスエキスプレスのCMヒットで注目された牧瀬里穂にあやかっての生年月日だったのかも…。
現在wikiでは1970年12月14日となっているところを見ると、そちらが正解なのでしょうかね。
真相はともかくとして、そんな時代のお話です。
星野ひかるのデビューから引退まで

星野ひかるのデビュー作といえば後ほどご紹介する『処女宮・第2章 天使の濡れた丘』FANZA(旧DMM.R8)ですが、この「処女宮」は葉山レイコの1988年9月リリースの作品『処女宮 うぶ毛のヴィーナス』が発端となり、のちにシリーズ化したようです。
タイトルにもあるように、その第2弾が本作ですが、2年目にしてようやく星野ひかるを皮切りに美少女のデビュー専門シリーズとしてブランド名が定着していくこととなります。
いわば、それだけ社をあげての熱のこもったキャスティングだったのではないでしょうか。
そのアイドル並みにルックスもさることながら、彼女の透明感のある清純さはアダルト界では稀有な存在だったことは間違いありません。
そのデビュー作の反響はといえば、3万本を超える売り上げを記録!
まだビデオが高価な時代ですから、いかに星野ひかるが人気を博したのかが伺い知れるのではないでしょうか。
その後1991年2月リリースの作品『幼な妻・ひかる 今夜もなすがまま』FANZA(旧DMM.R8)までの8タイトルをほぼ毎月リリースをして引退。
リリース期間がわずか8ヶ月くらいですから、活動期間となればもっと短いことでしょう。
彗星のごとき一瞬の煌めきを残して去っていったからこそ、我々に強烈なインパクトを残していったのかもしれません。
星野ひかるのその後

星野ひかるは引退までの1年弱の間に、グラビでも活躍し、雑誌はもとより写真集を2冊発売しています。
デビュー作では今後の展望として写真集を出したいと語っていただけに、目標が叶って嬉しかったのではないでしょうか。
もう一つの願いとしては、歌が好きなので歌手になりたいとも語っていた彼女。
それは残念ながら叶わなかったようですが、デビュー時には芸能方面への活動も視野に入れていたことが伺い知れます。
ということは、引退を機に、芸能界への挑戦も自ら放棄したとみて間違いないのかもしれません。
一説には留学資金を短期間で稼ぐためにAVの世界に入ったともいわれますが、それが事実であればその活躍ぶりから想像すると、目標額に達したのもあっという間だったのではないでしょうか。
それなら短期間での引退も頷けるような気がします。
そんな星野ひかるですが、引退後に目撃され、一度だけフライデーされたことがあったようです。
留学先のアメリカの某都市…と言いたいところですが、なんと都内の某私鉄駅前にある商店街でたい焼きを焼いていたんだとか。
その報道が1994年4月ですから、引退から既に3年の月日が経っていますので、もしかしたら学業との2足のワラジでアルバイトをしていたのかもしれませんね。
当時22歳であれば、あり得なくもないように思います。
まさか人妻のパートだったりして?いやいや、それはちょっと考え過ぎですかね。
星野ひかるの関連エピソード

そんな目撃情報があった星野ひかるですが、2004年にはストリップデビューした踊り子が同姓同名だっただけに、すわ星野ひかるがデビューしたのか!と色めき立ったこともあったようです。
それもそのはず宣伝で使用された写真が、なんと星野ひかるのポスターだったんだとか。
まったく人騒がせな話ですが、少しでも集客せんがために色気を出してしまった結果なのでしょう。
結局は別人だと判明し、踊り子本人も「ほしのひかる」と平仮名表記に改名し一件落着と相成った模様。
フライデーから10年後ですから、これが当人であれば当時32歳となっていたわけですが、冷静に考えると三十路でのストリップデビューはどうなんでしょうかね。
10年後になってもこんなにも人気があろうとは、劇場側もまさかの誤算だったのかもしれません。
しかし、それからまた月日が流れること10年余り…。
2012年にはアダルトビデオ30周年記念として、AV女優の人気投票が行われたそうですが、2万人の女優たちの中で堂々13位に入るという快挙をなし得てます。
既に引退から20年以上経ってもなお、当時お世話になった人たちには鮮明な思い出として記憶されているのでしょう。ちなみに1位はつぼみ嬢です。
当時7年目を迎えて1000本を超す作品をリリースしていたつぼみに対し、8ヶ月で8本を残して13位にランクインした星野ひかる。
思い出は美化されるとはいえ、男の初恋に似た執念は根深いことの現れなのかもしれませんね。
星野ひかるのデビュー作『処女宮』鑑賞レビュー

冒頭のシーンでは、初撮影の前日は眠れない夜を過ごしていたことを語っていましたよ。
今では信じられないでしょうが、これが30年前の一般的な少女の貞操観念だったのでしょう。
星野ひかる自身も初体験は18歳の高校3年生の時と明かしていましたよ。
こんな可愛い子が18歳まで手付かずなんて、現代ではまずあり得ないことでしょう。
ウブなピュアさに当時の男たちが萌えッとなっただろうことは、同世代の男として想像に難くありません。
小生も改めて観てみると、学生時代にこんな子と付き合いたかったなぁ~と心から思いましたもの。
初撮影の際は、目を閉じたまま身を固くしていた姿が印象的でしたね。
男優さんの方も赤子のように接していて、「刺激が強すぎる?痛い?」と優しく話しかけながら進行してましたよ。
現代であればいくらピュアっ子でも、18歳を過ぎれば仮に処女であってもこれほど丁寧に扱われることなどないのではないでしょうか。
「オナニーは一回だけしたことがあるんだよね」と聞かれ、恥ずかしさでうつむく姿なんて現代女性に見せたいくらいでしたよ。
そのオナニーも男優さんが優しく介添えしながら、ムーディーに行われていました。
最後はちょっとドラマ仕立てで設定ありのカラミでしたよ。
終わった後にカメラが寄ると涙が頬をつたってましたが、多少荒々しく扱われたせいなのか、はたまた感動の涙なのかは本人のみぞ知る…といったところでしょうか。
少なくともこの流した涙に感動した男はいかばかりか…本作が清純派作品の代名詞となっているのも頷けるような気がします。
そんな星野ひかるも2021年には50歳となり、それと同時に我々も等しく歳を取る…同じ時代を生きた証がまさに本作なのかもしれません。
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