1980年代前半

朝吹ケイトが女子大生デビュー!三十路の円熟期の緊縛から引退…現在は?!

朝吹ケイトの足跡(デビューから引退そしてプロフィール)

朝吹ケイトの足跡(デビューから引退そしてプロフィール)

【朝吹ケイトプロフィール】

  • 生年月日 1962年7月3日
  • 出身地  東京都
  • 血液型 O型
  • 身長 / 体重 160 cm / ― kg
  • スリーサイズ 85 – 58 – 85 cm

朝吹ケイトのデビューからロマンポルノ時代

女子大生の下半身 な〜んも知らん親【FANZA】女子大生の下半身 な~んも知らん親

朝吹ケイトは1982年12月24日公開の成人映画「女子大生の下半身 な〜んも知らん親」で、20歳の時にデビュー。

本作は現代映像企画が製作し、配給が日活となっています。

オーディションを経た現役女子大生が、自ら作品を作り上げるという初の試みだったようです。

プロデューサーは日活映画に出演歴のある木村佳子で、その選ばれた3人の女子大生のうちの一人が朝吹ケイトでした。(他2人は、島原まりのと三原誠子)

しかし、小暮祐子の「な〜んも知らん親」が原作ですので、実際は素人臭さを残しつつも役柄を演じていたのかもしれませんね。

本来は1983年のお正月映画として企画をしていたようですが、クリスマス公開の方が結果的に大きなお友達にとってはサンタさんからのプレゼントになったのではないでしょうか。

 

1983年2月公開の作品「襲われる女教師-【FANZA】」にて、本格的に新人としてにっかつロマンポルノに出演。ちなみに本作の主演は風祭ゆきでした。

宇能鴻一郎の伊豆の踊り子
宇能鴻一郎の伊豆の踊子【FANZA】

 

その後、1984年5月には「宇能鴻一郎の伊豆の踊子【FANZA】」ストリッパー役を好演するなど成人映画で華々しく活躍されました。

しかし、成人映画の衰退とともに、徐々にアダルトビデオに活動の場を移して行った模様。

ちなみに余談ですが、1981年デビューの美保純は、朝吹ケイトより2歳年上ですが大体同時期に活動していたことになります。

そんな美保純の方はといえば、1984年から松竹の「男はつらいよ」で町工場のタコ社長の一人娘・桂あけみとしてレギュラー出演するように…。

そのため美保純は、成人映画から華麗に転身できた稀有な女優さんなのかもしれません。

朝吹ケイトのアダルトビデオ時代

朝吹ケイトのアダルトビデオ時代

1983年8月には日活製作の作品「朝吹ケイトの碧い体験 PART-1 LET’S マリン LOVE」でアダルトビデオにも進出。

本作は9月に劇場公開されていますので、ビデオのみの出演となると1984年5月リリースの5作目「ルンルンオナニー 秘肉の香り」が、実質的には初生撮りとなるのではないでしょうか。

監督は山本晋也ですが、作品に関しては後ほどレビューしたいと思います。

ちなみに前出の朝吹ケイトデビュー作「女子大生の下半身 な〜んも知らん親【FANZA】」には、なんと山本晋也は友情出演しています。

そんな縁があっての出演なのかもしれませんね。

1985年には美保純同様にテレビでの女優業にも挑戦し、「火曜サスペンス劇場 『美しい殺意』」や「月曜ドラマランド 『長谷川町子の(新)いじわる看護婦』」に出演されています。

同時期には近代映画社の写真集や雑誌「映画の友」なども発売されており、当時の朝吹ケイトの人気ぶりが伺えるのではないでしょうか。

1989年には世は平成へと移り行く中、全く勢いを衰えることなくリリースを継続。

本場アメリカのハードコアポルノに出演するために渡米もしたそうですが、現地ロサンゼルスで交通事故に遭いあえなく断念。

芸名の「朝吹ケイト」も一説にはイギリスの女性シンガー「ケイト・ブッシュ」が由来とされていますので、英語が堪能で知的な女優さんだったのかもしれませんね。

朝吹ケイトの成人映画復帰の円熟期

朝吹ケイトのアダルトビデオ時代

1993年12月には約7年ぶりにエクセスフィルムから「朝吹ケイト お固いのがお好き」という成人映画が公開されています。

このエクセスフィルムですが、1989年に日活が成人映画の製作や上映権などを別会社の「新日本映像株式会社」に委託して立ち上げたレーベルとのこと。

ちなみに元にっかつロマンポルノに携わっていたプロデューサーたちが独立し設立した会社で、最近では2019年8月に並木塔子主演で「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」が公開されています。

本作はシネロマン池袋を皮切りに、配信や2020年2月にも上野オークラ劇場で上映され、2020年4月に開催されたピンク映画ベストテンでは、なんと栄えある年間4位を獲得しています。

少々余談が過ぎましたが、成人映画には2001年まで3本ほど出演されており、朝吹ケイトも38歳となっていた模様。

年齢を重ねるごとに演技も円熟していき、成人映画の復帰前の1995年11月発売の写真集「浮世草子 朝吹ケイト緊縛写真集」では縛りにも挑戦されています。

浮世草子 朝吹ケイト緊縛写真集

1999年11月にはSM官能小説で名高い団鬼六の「痴態」で映像として緊縛を体験していますが、この時の朝吹ケイトは37歳。

20歳でのデビューから長きに亘って活躍してきた朝吹ケイトですが、既に三十路の女性へとなり役柄も人妻が多くなってきたように思います。

朝吹ケイトの引退から現在まで

雛形な若妻

三十路となった朝吹ケイトですが、2001年8月リリースの「雛形な若妻」を最後に2002年に引退。

2003年頃には週刊ポストに六本木のクラブ「C」に在籍し、トップレスのダンサーとして活動していたとの記録がありました。

どうやら外国人客が多かったこともあり、英語を学ぶ場としても活用していたようです。

きっとアメリカでの活躍がとん挫してしまっても、今なお異国への憧憬の念を持ち続けていたのかもしれませんね。

現在は会社員と結婚し、専業主婦の一般人として生活されているようです。

そんな朝吹ケイトですが、最後に彼女の人柄がわかるエピソードを一つ。

元々成人映画での脱ぎも女優になるためのステップだとの位置づけだったようです。

そのため本人的にも予想外の反響に戸惑ったことを回想してましたよ。

しかもセクシー女優として活動しながらも、プライベートでの体験人数は5人とのこと。

恐縮しながら答えているところを見ると、自身では少ないとの認識だったようです。

経験人数の一般的な多寡はわかりませんが、少なくともノーマルさを保ち続けているがゆえのカミングアウトだったのではないでしょうか。

朝吹ケイトの初生撮り『ルンルンオナニー 秘肉の香り』鑑賞レビュー

ルンルンオナニー 秘肉の香り 朝吹ケイト
ルンルンオナニー 秘肉の香り 朝吹ケイト-【ソクミル】

本作は山本晋也の「ほとんどビューキ」シリーズでしたが、「すごいですねぇ」と共に、このフレーズは当時流行語にもなりましたよね。

監督が朝吹ケイトにオナニーをして欲しいと口説くシーンからスタート。

一見80年代の遊んでそうなギャルでしたが、「人前ではやらないもん、全然」と至極真っ当なことを言っていましたよ。

相当悩んでいるところを見ると、オナニーを人様に見せる…ということ自体が、当時としては信じがたい行為だったことが伺い知れますね。

 ルンルンオナニー 秘肉の香り 朝吹ケイト

わずか35年ほど前の女性の貞操観念が得難く思えるのは小生だけではないのではないでしょうか。

山本晋也の口説きがあまりに軟派過ぎて、現代の女の子ならドン引き必至でしょうね。

というより、無理やりやらせたら犯罪でしょ~と思うのは、女性の権利が拡充されてきた現代だからなのかもしれません。

ズボンを脱ぐところからして「もう、むこう向いてて」と言うあたり、清純さが表れていて好感が持てましたよ。

最後はもちろん根負けして、シーツを濡らしながらオナニーをしていました。しかも胃カメラを膣の中に入れながら…。

だからこそ「ほとんどビョーキ」と謳われる所以なのでしょうね。

 ルンルンオナニー 秘肉の香り 朝吹ケイト

しかし、この胃カメラでの秘部撮影ですが、ビデ倫からの制止を受け、あえなく本作が最後となっております。

もうヤダ~と顔を覆って恥ずかしさをあらわにしながら、「もう生きていけない」とまで口にする朝吹ケイトでした。

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FANZAは取り扱いありませんでした。

ルンルンオナニー 秘肉の香り 朝吹ケイト
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